ふとテレビを見ていたときのこと。
そこに映っていた人間社会で活躍している犬たち。
よくよく考えてみたらすごいことだ。当たり前のように警察犬とか盲導犬って言葉を耳にする。
昔から人に寄り添ってきた犬は人間との歴史が長い。
牧羊犬とか狩猟犬とか。
愛犬をセラピードッグに勝手に任命
そんなときに知ったセラピードッグというもの。
私の愛犬も私専用ではあるが立派なセラピードッグじゃんと勝手に思ってしまった。
セラピードッグとは犬と触れ合うことで精神的にも情緒的にも安定させることで場合によっては身体的に運動機能も回復させるというもの。
犬が好きという前提条件はあるものの、要するに私に癒しと安心を与えてくれている愛犬はセラピードッグだと思ってしまっても問題無いだろう。
犬を飼いたい理由と私自身の診断
私は犬が好きで本当によかったと思っている。
子供の頃、私はどうしても犬を飼いたかった。
犬を飼いたいと思った理由は犬が好きで犬に憧れというものを感じていたから。
では今はどうだろうか?
今は犬と一緒にいる生活が当たり前になってしまっている。
そんな中でなぜ犬を飼いたいと思ったのかを考えた時に思考が止まった。
今さら、今から犬がいない生活を考えると億劫な気持ちになってしまう。
私は犬というものに依存してしまっているのだろうか?そしてこれは良くない事なのか?
それを考えてみると私自身というものが少し分析できたような気がする。
良い悪いとかそういうことではなく、私はおそらく何かに依存しやすいメンタルが弱い生き物なのだと思った。
ただそれゆえに周囲の反応や感情にとても敏感でありすぐに察知することができるということでもある。
そしてそんな私だから犬というものがとても性に合っているのだと思った。
当時飼っていた愛犬を思う
私は一度愛犬が旅立つのを見送っている。
その時の気持ちを言い表すならば悲しいとか寂しいとしか言えない。
けれどいつまでも一緒にいられるなんて思っていたわけではなかったし、お別れの時はいつか必ずやってきて避けれるものでは無い事は重々承知していた。
だからなのかその時が来た後も普段の生活に支障がでるほど落ち込んだりはしなかった。
そしてその事は私にとっては少しというか結構ショックでもあった。
私はもっと落ち込んでしまうと思っていたのに実際はそうでもなかったことがショックだった。
その事を知人に相談した時にそれは介護が必要になっていく様子を見ていて、いくら考えようとしなかったとしても心の準備が自然にできていたからで、もし突然に前ぶりなく旅立ってしまったのならばもっと違っていた、と言われました。
なるほど確かに。
だとしたら私は当時の愛犬に長く生きてくれた事に長く一緒にいてくれた事に感謝をしなくてはいけない。
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